|
ボブ・ジェームス(Robert McElhiney "Bob" James、1939年12月25日 - )は、アメリカミズーリ州生まれのピアニスト、音楽プロデューサー、作曲家、編曲家である。ジャズ・フュージョンおよびアダルト・コンテンポラリー界を代表するアーティストの一人。映画音楽やクラシックまでと幅広く手掛けている。 == バイオグラフィ == 1939年12月25日、ミズーリ州マーシャルに生まれる。4歳からピアノを弾き始めている。ミシガン大学で学士と修士号を取り、バークリー音楽大学に転入している。1962年、トリオで出演したノートルダム・ジャズ・フェスティバル(インター・カレッジ・ジャズ祭)で優勝し、クインシー・ジョーンズに見出される。同年にThe Bob James Trio名義で彼のリーダー作のファースト・アルバムとなる''Bold Conceptions''をリリース。このアルバムはモダン・ジャズの仕上がりとなっている。1964年にはフリージャズのレーベルであるESPレーベルから''Explosions''をリリース。この作品は現代音楽的要素を伴うアヴァンギャルド音楽として今日でも評価が高い。 ジョーンズはジェームスをCTIレコードの創始者、クリード・テイラーに紹介、1967年頃からミルト・ジャクソン、ポール・デスモンド、ジョージ・ベンソンなどの録音にプレイヤーとして参加し、作曲やアレンジも務め、クロスオーバー期の一躍を担う。この頃の彼の音楽性にはクラシック的な要素が強かったが、ブラックなフィーリングもあり、白人ピアニストでは稀有な存在であった。 1973年にCTIを離れてからは大手のCBSレコーズと契約、社内カンパニー、タッパンジー(Tappan Zee)・レーベルを発足。名前はニューヨーク州のウェストチェスター郡とロックランド郡を繋ぐ、ハドソン川に架かる橋に由来する。セルフ・プロデュースによる初ソロ作''One''をリリースするが、当時はもっぱらジェームス自身のプライベート・レーベルであった。同時に、グローヴァー・ワシントンJr.の''Inner City Blues''を皮切りに、ガボール・ザボ、ハンク・クロフォード、エリック・ゲイル、スティーヴ・カーン、ケニー・ロギンスらのプロデュース活動を開始。中でもロギンスの''Celebrate Me Home''や''Nightwatch''、''Keep the Fire''、ゲイルの''Jinseng Woman''、メイナード・ファーガソンの''Conquistador''はジェームスの代表プロデュース作品である。 1980年にタッパンジーは分社化され、CBS傘下のタッパンジー・レコード(Tappan Zee Records)となる。このレーベルにおいて彼は自身のソロ作や、リチャード・ティー、ウィルバート・ロングマイヤー、カーク・ウェイラムらのプロデューサーとしても活躍し、フュージョンおよびアダルト・コンテンポラリー全盛期の先端 を走る。しかし1980年代になるとセールスは落ちていき、コンテンポラリー・ジャズとしてのサウンドを求めるため、1985年にワーナー・ブラザーズにレーベルごと移籍。尚、このCBS期の作品はワーナーから再発され、国内盤では2002年夏にビクターエンタテインメント(JVC)から20作品が再発されている。 1980年発表のアール・クルーとの合作''One on One''、1986年発表のデイヴィッド・サンボーンとの合作''Double Vision''でグラミー賞を受 賞した。他のアルバムでも十数回ノミネートされている。 1990年、アルバム''Grand Piano Canyon''にて、リー・リトナー、ネーザン・イースト、ハーヴィー・メイソンと揃ってセッションを行い、意気投合、翌年にはフォープレイを結成し、アルバムを発表した。 1997年にリーが脱退し、ラリー・カールトンが加入。 2003年より、Koch Recordsに移籍。フォープレイとしては、2001年にアリスタ・レコードを経てヘッズ・アップ・インターナショナルに移籍している。2010年に、フォープレイのギタリストがチャック・ローブに交替。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ボブ・ジェームス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Bob James (musician) 」があります。 スポンサード リンク
|